コロナ禍・大学3年生の春休み 就活の動機
週1回のアルバイト以外はほとんど家にいて、買い物以外で外に出ることはありません。一人暮らしということもありほとんどの時間を東京の狭い1Kで一人で過ごしています。
春休みなので、授業もなく、オンラインですら誰とも連絡をとらない毎日です。もともと友達が多いほうでも、ラインでやりとりを多くするほうでもなかったので、人とのコミュニケーションがめっぽうなくなってしまいました。
緊急事態宣言が出ていなかったら、もう少し友人らと出かけていたとは思うのですが・・・1年の春休みは実家で通院、2年の春休みはアルバイトと旅行という感じでした。3年の春休みは就活をする時期だと思うのですが、いかんせん誰にも会わない毎日だと、なかなか腰があがりません。みなさんはどうやってモチベーションを保っているのでしょうか。
モチベーションがないから就活が進まないという点で考えてみますと
なにしろ何かしら行動するには動機が必要だと思うので・・・
①もう1年だぶってもいいだろうという余裕から切羽詰まっていないためモチベがない
②人と会うことがないためか、自身の身分や状況を理解できていない
③ほんとうは自身の状況がひっ迫しているのにそれに気が付くのが怖くて目をそらし続けている
の3つが就活に本腰を入れられない理由に考えられます。
①「もう1年だぶってもいいだろうという余裕から切羽詰まっていないためモチベがない」に関してはだぶるくらいなら院に行きたいので、選択肢としては排除します。つまりストレート卒業で就職か、院進になります。ただこの点で懸念するのは、卒業と就活と院進を同時並行で行うため、最高の出来を最も必要としない卒論において手を抜いてしまおうと考えられうることです。わたしがわざわざ卒論を書く必要のある人文学系に進学した目的の一つに
・自分が満足のいく内容を自分の言葉で表現し伝える
というものがありました。卒論がおろそかになってしまえば、私の大学生活に悔いが残るといいますか、達成感をもって、自信をもって卒業することができないと思うんです。これはいままでさんざん怠け続けてきた自分を振り返ると、その時間を使えばこの3つを同時に達成することは容易ですし、事実できている人も多いと思います。なので完全に自業自得なんですが、わたしはいつも気が付くのが遅いです。
②「人と会うことがないためか、自身の身分や状況を理解できていない」に関しましては
たとえば友達と会うことがないため、先生と会うことがないため、自分が大学生という身分を持っていることを忘れてしまうんです。大学生たるもの、学ぶべきものですが、それさえも忘れてしまいます。授業を受けていても、わたしはなぜ今授業を受けているんだろう、とはっと考えてしまうのです。
さらに家族とも会わないため、わたしは養われているんだということも忘れてしまいます。そのため、自立する必要性があるのにもかかわらず、養われている対価を示さなければいけないのにもかかわらず甘えてしまっています。
とにかく、全然人に会わないためか、自分が誰で、何をすればいいのか、わからなくなってくるんです。何をすればいいかわからないというのは、誰かに何かを要求されているという感覚や、義務を負っているという感覚が欠如しているからです。
応答しようにも呼びかけを感じないし、呼びかけても応答は来ません。
もちろんパソコンやスマホ画面上ではありますが、正直画面上だとニュースで読まれる第三者の世界と何も変わらないんです。授業中、自分が話していないときに、寝ていても、泣いていても、歌っていても、画面の中の先生は変わらずしゃべり続けるんです。
そして、そのように生きていると、毎日ただ自分のために生きているような感覚になります。
自分のために食べる。
自分のために起きる。
自分のために授業に出る。
自分のために勉強する。
自分のために就活対策をする。
自分のためにシャワーを浴びる。
また明日自分のために生きるために
今日自分のために寝る。
自分のためだけに生きられる人もいると思います。趣味に熱中したり、などなど。ただ、正直言って、わたしには向いていません。わたしは人からの評価が自分の行動の大きな動機になってきたのだと確認しました。生きる理由となる自分の存在価値すら他人によって出来上がるものであるのなら、他人のいない世界の自分にどのような価値があって、そのために生きればよいのでしょうか。
というわけでわたしは自分が生きる理由や行動する理由をずっと探していたのですが、とりあえず理由がなくても動いてみようと思うんです。心臓は理由がなくても動いてるんですよね。それでも理由はずっと考えていたいですね。
③「ほんとうは自身の状況がひっ迫しているのにそれに気が付くのが怖くて目をそらし続けている」に関しましては
それによって現実から目をそむけたくなるたびに、ハンターハンター34巻・クラピカの「『知ること』で生き残る確率は大幅に上がります」・「『わからない』よりも 『出来るかもしれない』方が生死を分ける状況判断で結果に著しい成果をもたらすのです」というセリフを思い出して自分自身を鼓舞しています。
このセリフを着て、死ぬと覚悟していた王妃は生き残る望みがあると感じ動揺し震えてしまいました。私自身も、だめだと覚悟して何も手を付けなければ精神的に安定する(≒停滞する)かもしれませんが、少しでも望みがあれば対策をするべきですね。
一人暮らしで巣ごもりだと精神的に悪い気がして、(親は転勤で同じ東京にいるので)同居したいとふんわり親に伝えてみたら、一人だと身につくこともきっとあるよ!とふんわり却下されました。
一人暮らしをやめられるかもという希望がなくなり、もうここで生きるしかないんだと覚悟は決まったので(なので結果オーライ?)、もう頑張るしかありません。
同居人募集中デス あれ?