雪の雑音と生活

つれづれなるままに日々感じたことを電波の網の目に残します

世界の主役は男性?

昨日の夜Youtubeをだらだら見ていたら、とんでもない人を見つけました。

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彼女です。Courtney Hadwinさんです。

彼女の歌声を聞いた瞬間、言語的な感想を置き去りにして、ただただ鳥肌が立ちました。それからこの曲を聴き終わるまで鳥肌が立ちっぱなしでした。ちなみに今でも聞くと鳥肌が立ちます。

 

それから涙が自然とあふれてきて、気が付けばわんわん泣いていました。

 

そこでやっと鳥肌と涙の理由について言語を使って考え始めました。

彼女の歌声、歌唱力、パフォーマンス自体が群を抜いて素晴らしいことは確かなのですが、それを言葉で説明する芸術知識が私には欠けています。ただ、彼女のパフォーマンスが言葉にならない鳥肌や涙の理由となっていることは明らかです。

 

今回は別の理由について考えてみます。考えたというより、泣きながら頭に浮かんだことです。

 

わたし、この世の主役はずっと男性だと思ってました。

たとえば彼女が歌うロックの主役、ロックンローラービートルズレッチリ、クイーン、オアシス・・・あげるときりがありませんが、男性が多いです。

ほかにも、サッカーや野球などメジャーなスポーツでは女性のそれより男性のそれのほうが圧倒的に人気で市場規模もでかいです。

さらに映画監督といった芸術分野でも圧倒的に著名な方は男性が多いです。アカデミー賞の監督賞でも女性がノミネートされたのは今年2021年が初めてでした。

日本でいえば、お笑い芸人も圧倒的に男性が多いです。それから番組で、ネクタイを締めてメインの司会をするのは男性です。さらに民意を反映し国を動かす国会議員も衆参あわせて85%は男性です。国民的バトル漫画の主人公も男の子です。フェスに出場するバンドも男性が多いです。日常の範囲でも、大学の教授や、地域の病院の先生など、彼らは男性が多いです。これらの場面で、女性は補佐的な役割を担っています。

 

それぞれが担っている役割に良し悪しや優劣があるということではありません。たとえば男性が多い医者も、女性が多い看護師も、男性が多いメイン司会者も、補佐的な女性キャスターも、それぞれ欠けてはならない大切な役割を担っています。

とはいえ、明らかに性別による差が大きすぎると思うのです。

 

わたしはこれは、男性のほうがそういった場面で活躍する才能に恵まれているからだとどこかで思っていました。

 

だから、悲しかったんです。父親が居間で流す伝説のロックンローラーのコンサートビデオを見ながら、大ヒット映画のインタビューを受ける監督を見ながら、ノーベル賞を受賞する科学者のインタビューを見ながら、ネクタイを締めたメイン司会者の番組を見ながら、バトル漫画をよみながら、フェスで音楽を楽しみながら、大学で授業を受けながら、この世の主役は男性、私たち女性は脇役なんだと、ずっと思い込んでいました。

女になんか生まれなきゃよかった。男に生まれたかった、と思っていました。

 

だから、わたしは彼女をみて泣いたのかもしれません。

私はロックに全く知識がありませんが、彼女は私の思い込みを破壊してくれました。

とはいえ、彼女に対して抱いた感想は、”女の子なのに”すごいといった感想ではなく、ただただすごいといったものです。性別どうこうなんて全く感じさせない彼女の歌声に私は感動していたんだと思います。


 

ふと思えば、数は少ないですが上にあげた男性が活躍することが多い場面で活躍する女性もいます。それでもやっぱり、男性女性という住み分けがあるような気はします。

だからそういったことを全く感じさせない彼女のパフォーマンスに心から感動しました。

 

男性がメインの役割を担うことが多いのは、生来の才能というではなく、長年女性が抑圧されてきた末にできた社会構造かもしれないと思えるようになりました。

 

わたしのこの論理には、いわゆる女性らしさから抜け出して、男性が現在活躍している場面で女性も遜色なく活躍できることが女性が世界のメインステージに上がる方法ということになるので、根本的な男女差の解決にはなってないという批判が考えられます。

ただ、現在ある女性らしさや男性らしさも社会的に構築されたものであることは忘れてはならないと思います。

だからこそ、男女が社会的な文脈にとらわれることなく自分が望んだものを表現し、自分が望む役割に就くことができる社会の実現に向けて自分ができることを考えたいです。

 

 

いつか彼女がコンサートを開催しに来日してくれることを待ち望んでいます。