テレビは一人で見るものじゃない
今日シーシャ屋に友人と言ったら
大きな大画面でオリンピックのサッカーの日本vsニュージーランド戦がやってました。
オリンピックがやっていたことは知っていても、試合は一つも見たことがなく、結果も気にしたことがありませんでした。
東京で独り暮らしをしはじめてから初めてのオリンピック。
大画面のテレビもない。
テレビを見ていてもひとり。
そんなthe 単身大学生世帯だからか、オリンピックに興味は沸かず。
それでもtwitterで勝敗関連のニュースを見かけると
まるで社会から隔離されているような気分になっていました。
そんな私でも今日シーシャ屋の大画面で友人や店員さんほかの組と一緒にオリンピックを見ていると、応援も熱くなり、日本が勝ったので準決勝、決勝も絶対見たいと思いました。
思い返せば実家にいた時は結構熱くなってオリンピックを見てましたし
ワールドカップも観戦してました。
それが一人になるとめっぽう見なくなりました。
やっぱり、テレビは「誰かと一緒に見る番組」が自分の中では多いな、と。
ほかだと例えば歌謡番組。
ある晩、特番の歌謡番組を見ていたら、唐突に実家の景色がよみがえり
(わたしは5年後10年後もこうしてワンルームの部屋で一人で小さいテレビで歌謡番組を見続けているのだろうか・・・)
と孤独と不安で心臓が痛くなってきて、歌を楽しむはずの歌謡番組で、むなしい気持ちに襲われ泣いてしまいました。
スポーツにしろ、歌謡番組にしろ、やっぱり私の中では誰かと観るもので
独りで見るのは空しいし、見る気にもならないみたいです。
喜びも感想も何も人と共有できませんからね。
シュートして惜しくもゴールから外れたボールを見て
ああー!!と叫んだ声は部屋の壁に吸収されて消えていく・・・
やっぱり空しいです。
共有したがるのは人間のどういう特性なんでしょうか。
話はそれましたが、そういった虚無感や虚しさは
Youtubeや配信番組ではあまり感じることはありません(見た後に経過時間を見て空しくなることはありますが・・・)。
それは、それらが”一人で見るのにちょうどいい”ことや
誰かと一緒に見た記憶と紐づけられておらずその比較から来る空しさを感じないことが理由だと思います。
この辺は学問だと社会学で論じられるんでしょうね。ゴフマンやモーリス・アルバックスあたり?なんか聞いたことあります。
それで、見ているときに空しくもならず、”一人で見るのにちょうどいい”Youtubeなどをみる。
さらにYoutubeにはコメント欄、配信映画にはレビューといったように、その動画に関して抱いた感情や感想をすぐさま共有できます。Youtubeだとコメント欄で投稿者にいいねしてもらえたり、他の視聴者から返信さえ届きます。
だから一人で見ていて空しくなるテレビ番組より
Youtubeや配信動画を選ぶのかなあと。
配信動画はリアルタイムではないので、友人にいつでも勧められますし、話題になったときにすぐ1話から見られますし、感想をいつでも友人と話せます。
一方テレビ番組はリアルタイム性が強いので、後日友人と話そうと思ったらその友人がたまたまみていた可能性にかけるしかありません。(今はTVerや配信サイトでの後追い配信などはありますが・・・)とくにスポーツだとリアルタイムでないと結果が分かってしまうので、その場の高まりは一生共有できません。
若者のテレビ離れが進んだと耳にしますが
その理由には
その内容のおもしろさに関わらず
①単身世帯が増えた
↓
②テレビ番組の多くは一人で見る文化にない(誰かと観る文化があるので一人で見ることに虚しさを感じる、リアルタイム性が強いが、一人で見るためその場で感想を共有できず、後日友人と感想を共有しようとしても、難しい)
↓
③ちょうどいいYoutubeや配信動画が選ばれる(一人で見る文化があるので見ていて虚しさを感じない、コメント欄ですぐだれかと感想を共有できる、リアルタイム性がないのでいつでも友人と共有しあえる)
という点があるのではないかと・・・
サッカー観戦楽しかったなー
パブリックビューイングって何のためにあるんだろうって思ってたけど
今想像したら絶対楽しい!!笑
以上です!