雪の雑音と生活

つれづれなるままに日々感じたことを電波の網の目に残します

なぜ考えたくないのか

社会人2年目になりました。

 

わたしの友人は我々は学生であっても社会の一員であるのだから、社会人という言葉はおかしい、といいます。

しかしわたしは1年間組織の一員として働き、ああ、社会に順応した、と感じるのです。

 

1年間働いて驚いたことは、過去の記憶、つまりこれまでの自分自身が驚くべきスピードで消えているということです。小学生のころ、中学生のころ、高校生の頃、大学生の頃、自分が何を考えていたのか、どういう動機で行動していたのか、思い出せないのです。

思い出そうとして脳をその時間軸に巻き戻そうとしても、テープが故障していてこれ以上どうやっても巻き戻せないといった感覚です。

そして、社会人になった今、普段何を考えているかというと、何も考えていないのです。

平日は何時に寝ても、目覚ましをかけなくても、必ず出社に間に合う時間には起床します。これは大学生まで遅刻ばかりしていた私にとっては、驚くべきことです。

これも社会に順応した、と感じる点の一つです。

そして出社したら夜まで働き続けるのです。定時で終わることはほとんどないので、夜まで働きます。平均残業時間は月‘5,60時間くらいです。

その間、もうやーめた!やめた!と思うことはありません。

一度だけ超至急かつ超重要案件が3つほど一気に来た瞬間は、頭痛と気持ちの悪さで全部投げ出して帰ろうかと一瞬思いましたが、頭痛薬を飲んで何事もなく乗り越えたのです。

(とはいえ仕事の愚痴は同期に吐きまくっています。)

帰ったら泥のように眠り、また同じ明日がきます。

土日は予定があれば出かけ、なければ一日中ベッドの上にいます。

そう、わたしは何も考えていないのです。

土日暇になって何か考えそうになったら、何も考えたくないから早く平日になってほしい、働きたい、と思う日もあったほど、私は何も考えていないのです。

そのように日々を消化していることを、ああ、社会に順応したな、と受けて止めているのです。

 

先日学生時代に知り合った人に、働いてどう?どんな変化があった?と聞かれたのですが、考えなくなった、そしてそれはすごく楽なことだ、と答えました。やはりそれが自分の言葉に最初に出てくる変化なのです。

なぜ考えなくなったのでしょうか、なぜ考えなくなったことを社会に順応したと受け止めているのでしょうか。

 

坂口恭平の「独立国家の作り方」によると、

この社会には2つの構造があるといいます。与えられたものをこなせば評価されるゲームのような「学校社会」とある個人が構成する独自の「放課後社会」です。彼の友人は工作は得意だったのですがテストの点数は悪く評価されません。その友人は教科書を暗記すれば高い成績がとれる社会では評価されませんが、彼自身の社会では工作が得意なので彼の工作をみた坂口恭平には尊敬されました。そこで坂口は前者を「学校社会」と呼び、それは無意識化で匿名のレイヤーで構成されるといいます。そして後者を「放課後社会」とよび、それは個人の複数のレイヤーで構成されるといいます。

 

そして、この「学校社会」では考えなくてよいのです。

「学校社会」は我々の生活の「システム」です。

このシステムの中にいると、やるべきことが与えられ、それをしておけば、賃金が与えられ、暮らすことができます。

一方で「放課後社会」では、どうすれば生きていくことができるのか、自分で考える必要があります。システムの中にいないホームレスは、坂口恭平が言うように、自分の頭で考え、何が金になるのか、どこにいけばごはんが食べられるのか、どうすれば住処を建てられるのか、考えています。

 

坂口恭平は、匿名のレイヤーである「学校社会」をぶっこわさなくても、認識を変化させレイヤーを意識すれば、考えることができるといい、考える革命を起こそう、と書いています。

 

これを読んだとき私は、「あ、わたし社会人になって考えなくていいって楽だな、と思ったし、このまま考えずに年をとることをどこか怖く感じることもあったけど、自分はただただ考えたくなかったのだな」と思いました。

 

そこで次に思ったことは、なぜ考えたくないのか?という疑問です。

まず思い浮かぶのは、考えたくないことを考えなくてよく、健康的な生活を送ることができるからです。

わたしにはトラウマ的なものがあります。

トラウマ的なものと呼ぶのは、それをトラウマと呼んでしまえば本当にそれがトラウマとなって私を縛り付けそうで怖いからです。この文章を書きながらそもそもトラウマの定義って何だろうとみてみるとPTSDのページがでてきて当てはまったのでびっくりしました。トラウマ的なものをトラウマと受け入れることから回復は始まるのかもしれません。

ただ、受け入れて回復できるのでしょうか?回復した状態とはどのような状態でしょうか?想像することができません。

過去は消せない、そしてその過去はどう認知の仕方を変えてもポジティブなものとして捉えられないというのに、どうすることが回復した状態といえるのでしょうか?

気にせずに過ごすことでしょうか?

話がそれつつありますが、私にとっての解決策は考えないことだったのです。

向き合えないこととの向き合い方は、目を背けることしかないのではないでしょうか。

大学生までは多くの時間をこの問題に費やしていました。

しかし社会人になって、驚くほどこの問題から逃れ健康的な生活を送ることができているのです。そして、この問題から逃れた人生というものを、私にも送ることができると感じたのです。

とりあえず出勤して意識を仕事に向け、休日は予定があれば出かけ意識を娯楽に向け、なければ考えたくないので寝て意識をとざす生活をしていれば、わたしはこの問題から逃れられることができたのです。

 

ただ、考えたくないから「学校社会」で生きているのは、私以外にも一般に言えることだと思います。もちろん一般にそれぞれがトラウマを抱えているということも言えると思いますが、トラウマから逃れることの他に、きっとまだ理由があるはずです。

 

おそらくそれは端的に言えば考える必要がないからです。

私は考えない理由を考えているのですが、ないことの理由を考えるのは難しいです。

なぜならある事象があるから我々はその事象がある理由を考えるのだと思います。

ないことの理由を考えるのは、困難です。

考えなくても生きていける、考えなくても感動できる、考えなくても笑える、考えなくても泣ける、考えなくても刺激にあふれている、考えなくても感動するほどおいしい寿司が食べられるこの世界で、わざわざ労力を使って考える必要など全くないのです。

 

そこで次に生まれる疑問は、なぜ考える人は考えているのかという疑問です。

私がほんとに考えなくていいのか?と考えていることからも、私自身も何か考えたがっていますし、おそらく坂口恭平がいうような「独自のレイヤー」の交易ということもヒントだと思うのですが、疲れたのでなぜ考えるひとは考えているのかはまたいつか書くことにします。

 

ここまで書いて気が付いたのは、

カセットテープは故障したのではなく、

おそらく別の私がまきもどしボタンをとめているのです。

なぜなら、考えたくないからです。

過去の自分が考えていることを思い出せば、また今の私も考えてしまう、考えたくない私は、その巻き戻しボタンをとめているのだと思います。

 

1年目は勉強ということで考えなくてよい(=創造性のない)仕事が多かったので、働くことは考えなくてよいことだと思っているだけかもしれませんが、欲しがれば創造的な仕事ももらえるはずですが自分はそう行動していませんので、やはり考えることを避けています。また、仕事のレイヤーで創造的なことと、もっと日常において、人間生活において考えることは、また別のレイヤーな気もするのです。(あくまで仕事は「学校社会」の中で創造している、といった感じです。)

 

考えたくない私に対抗するように、考えたい私が最近でてきています。

先ほど述べたトラウマ的なものも完全に忘れられているかというとNOです。関連のものをみれば思い出しますし、久しぶりに思い出すというのは、かえって、どんなに忘れても結局は逃れられないのだという絶望がさらに大きいものです。

 

これからも爆速に記憶を忘れていきそうなので、カセットテープが本当に故障しないように、どこかに文章だけは残していきたいと思っています。