雪の雑音と生活

つれづれなるままに日々感じたことを電波の網の目に残します

自分で決めた選択は実はレールに乗っていた?

私、気が向いたらYouTubeでTEDトークを見ています。たまーに。

世界の著名な方の話を10分間程度で、しかも英語の復習もしつつ無料で見られるんです。インターネットって本当にありがたいです・・・。

 

それでこの間見たのは、Googleのソフトエンジニアとして働いていたMax Hawkinsという方のスピーチです。

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ある人のこれまでの位置情報から、その人が次の日に行く場所を高い確率であてることができる、という論文を彼は読みます。

その日、彼は同僚と新しく開いたバーに行くんですけど、その論文を思い出して、AIに自分の意志で行くと決めた場所が予測されたかもしれないと思うと変な気がしてきます。

 

そこで彼は、アルゴリズムにランダムに行く場所を決めてもらうアプリを作ります。

彼が住んでいるサンフランシスコ内で、ランダムに場所を選んでもらい、Uberタクシーを呼んでもらい、彼は目的地を知らないままある場所に向かうのです。

 

最初彼が行きついた場所は緊急精神病棟でした・・・

彼は、同じようにアルゴリズムに任せて、カフェや美術館など、様々な場所を訪れます。

 

そんな感じで彼はさまざまなアプリ。ランダムな選択をするアプリを開発します。

1週間禁じる食べ物をランダムに選ぶアプリ、何をすればいいかランダムに印刷するアプリ、ランダムな曲リスト作成アプリ・・・

そして彼はFacebookの公開イベントをランダムに選んでもらうアプリも作ります。

かれは見知らぬJoeさんの誕生日パーティーに参加したり、どこかの学校の発表会に参加したりします。

 

フリーランスになった彼は、さらに住む国さえもアルゴリズムに任せます。

数週間ごとに彼はランダムに住む国を変えていきます。

そこで彼はサンフランシスコでしたように、アルゴリズムに任せてランダムな場所やイベントを訪れるのです。ムンバイではヨガにもチャレンジしました。

 

そのような生活を2年間して彼は、「自分で選択をしてないのに、むしろ自分で選択していた時よりも自由になったような感じがする」というのです。

アルゴリズムに選択を任せるようになって、そうでなければ行くことのなかった場所やイベントに彼は行くことになります。そして彼は新しい出会いをするのです。

人は普段、自分自身で選択を決めているようで、社会構造や歴史など、様々な文脈に実はとらわれていて、そのとらわれた中の数少ない選択肢から結局は選択をしているため、実はたくさんの選択肢を見落としている、と彼は言います。

 

AIの活用って、例えばweb広告みたいに、その人の趣向に合わせて新しいものを提案するイメージがあったんです。でも、こんな風に完全にランダムに新しいものを提案するアルゴリズムもあるんですね。

 

人生の選択については、アルゴリズムに任すことが現実的じゃないので、狭い選択の中から選ぼうと思います。選択が数多すぎても疲弊してしまうので、選択の幅が狭まっているのはありがたいのかもしれません。もちろんそれはある程度恵まれているから言えることですが。

 

ただ、休日とかに行く場所をランダムに決めて訪れる、みたいなことは私も実践してみたいです。

 

オンライン生活に不足しているものの一つはこのランダム性だと思います。外に行けば、ある空間にあるということだけで、ランダムな出会いがあります。たとえば、図書室にいれば、歩いていれば面白そうな題名の本が目に入ったり、教室にいれば、ひょんなことから知り合いができたりします。オンラインだとどうしても自分から手を伸ばさないと情報が得られません。

それでも、誰でもいつでも入ることができるzoomの部屋を作ったり、そういったランダム性をオンラインでも確保できるような取り組みもされています。それでも、zoomに入ることは自分で選択する必要があるのですが。オフラインだと、その場所にいることは生活の一部なので、そこにいていいのだろうかと思うことはないのですが。

そういった意味で、自分の選択ではなく、誰かからの強制によってどこかにいるということは、むしろ、わたしはここにいていいという安心感につながるのかもしれません。もちろんそのどこかが居心地の良い場所ということは必須の条件ですけれども。