雪の雑音と生活

つれづれなるままに日々感じたことを電波の網の目に残します

なぜ考えたくないのか

社会人2年目になりました。

 

わたしの友人は我々は学生であっても社会の一員であるのだから、社会人という言葉はおかしい、といいます。

しかしわたしは1年間組織の一員として働き、ああ、社会に順応した、と感じるのです。

 

1年間働いて驚いたことは、過去の記憶、つまりこれまでの自分自身が驚くべきスピードで消えているということです。小学生のころ、中学生のころ、高校生の頃、大学生の頃、自分が何を考えていたのか、どういう動機で行動していたのか、思い出せないのです。

思い出そうとして脳をその時間軸に巻き戻そうとしても、テープが故障していてこれ以上どうやっても巻き戻せないといった感覚です。

そして、社会人になった今、普段何を考えているかというと、何も考えていないのです。

平日は何時に寝ても、目覚ましをかけなくても、必ず出社に間に合う時間には起床します。これは大学生まで遅刻ばかりしていた私にとっては、驚くべきことです。

これも社会に順応した、と感じる点の一つです。

そして出社したら夜まで働き続けるのです。定時で終わることはほとんどないので、夜まで働きます。平均残業時間は月‘5,60時間くらいです。

その間、もうやーめた!やめた!と思うことはありません。

一度だけ超至急かつ超重要案件が3つほど一気に来た瞬間は、頭痛と気持ちの悪さで全部投げ出して帰ろうかと一瞬思いましたが、頭痛薬を飲んで何事もなく乗り越えたのです。

(とはいえ仕事の愚痴は同期に吐きまくっています。)

帰ったら泥のように眠り、また同じ明日がきます。

土日は予定があれば出かけ、なければ一日中ベッドの上にいます。

そう、わたしは何も考えていないのです。

土日暇になって何か考えそうになったら、何も考えたくないから早く平日になってほしい、働きたい、と思う日もあったほど、私は何も考えていないのです。

そのように日々を消化していることを、ああ、社会に順応したな、と受けて止めているのです。

 

先日学生時代に知り合った人に、働いてどう?どんな変化があった?と聞かれたのですが、考えなくなった、そしてそれはすごく楽なことだ、と答えました。やはりそれが自分の言葉に最初に出てくる変化なのです。

なぜ考えなくなったのでしょうか、なぜ考えなくなったことを社会に順応したと受け止めているのでしょうか。

 

坂口恭平の「独立国家の作り方」によると、

この社会には2つの構造があるといいます。与えられたものをこなせば評価されるゲームのような「学校社会」とある個人が構成する独自の「放課後社会」です。彼の友人は工作は得意だったのですがテストの点数は悪く評価されません。その友人は教科書を暗記すれば高い成績がとれる社会では評価されませんが、彼自身の社会では工作が得意なので彼の工作をみた坂口恭平には尊敬されました。そこで坂口は前者を「学校社会」と呼び、それは無意識化で匿名のレイヤーで構成されるといいます。そして後者を「放課後社会」とよび、それは個人の複数のレイヤーで構成されるといいます。

 

そして、この「学校社会」では考えなくてよいのです。

「学校社会」は我々の生活の「システム」です。

このシステムの中にいると、やるべきことが与えられ、それをしておけば、賃金が与えられ、暮らすことができます。

一方で「放課後社会」では、どうすれば生きていくことができるのか、自分で考える必要があります。システムの中にいないホームレスは、坂口恭平が言うように、自分の頭で考え、何が金になるのか、どこにいけばごはんが食べられるのか、どうすれば住処を建てられるのか、考えています。

 

坂口恭平は、匿名のレイヤーである「学校社会」をぶっこわさなくても、認識を変化させレイヤーを意識すれば、考えることができるといい、考える革命を起こそう、と書いています。

 

これを読んだとき私は、「あ、わたし社会人になって考えなくていいって楽だな、と思ったし、このまま考えずに年をとることをどこか怖く感じることもあったけど、自分はただただ考えたくなかったのだな」と思いました。

 

そこで次に思ったことは、なぜ考えたくないのか?という疑問です。

まず思い浮かぶのは、考えたくないことを考えなくてよく、健康的な生活を送ることができるからです。

わたしにはトラウマ的なものがあります。

トラウマ的なものと呼ぶのは、それをトラウマと呼んでしまえば本当にそれがトラウマとなって私を縛り付けそうで怖いからです。この文章を書きながらそもそもトラウマの定義って何だろうとみてみるとPTSDのページがでてきて当てはまったのでびっくりしました。トラウマ的なものをトラウマと受け入れることから回復は始まるのかもしれません。

ただ、受け入れて回復できるのでしょうか?回復した状態とはどのような状態でしょうか?想像することができません。

過去は消せない、そしてその過去はどう認知の仕方を変えてもポジティブなものとして捉えられないというのに、どうすることが回復した状態といえるのでしょうか?

気にせずに過ごすことでしょうか?

話がそれつつありますが、私にとっての解決策は考えないことだったのです。

向き合えないこととの向き合い方は、目を背けることしかないのではないでしょうか。

大学生までは多くの時間をこの問題に費やしていました。

しかし社会人になって、驚くほどこの問題から逃れ健康的な生活を送ることができているのです。そして、この問題から逃れた人生というものを、私にも送ることができると感じたのです。

とりあえず出勤して意識を仕事に向け、休日は予定があれば出かけ意識を娯楽に向け、なければ考えたくないので寝て意識をとざす生活をしていれば、わたしはこの問題から逃れられることができたのです。

 

ただ、考えたくないから「学校社会」で生きているのは、私以外にも一般に言えることだと思います。もちろん一般にそれぞれがトラウマを抱えているということも言えると思いますが、トラウマから逃れることの他に、きっとまだ理由があるはずです。

 

おそらくそれは端的に言えば考える必要がないからです。

私は考えない理由を考えているのですが、ないことの理由を考えるのは難しいです。

なぜならある事象があるから我々はその事象がある理由を考えるのだと思います。

ないことの理由を考えるのは、困難です。

考えなくても生きていける、考えなくても感動できる、考えなくても笑える、考えなくても泣ける、考えなくても刺激にあふれている、考えなくても感動するほどおいしい寿司が食べられるこの世界で、わざわざ労力を使って考える必要など全くないのです。

 

そこで次に生まれる疑問は、なぜ考える人は考えているのかという疑問です。

私がほんとに考えなくていいのか?と考えていることからも、私自身も何か考えたがっていますし、おそらく坂口恭平がいうような「独自のレイヤー」の交易ということもヒントだと思うのですが、疲れたのでなぜ考えるひとは考えているのかはまたいつか書くことにします。

 

ここまで書いて気が付いたのは、

カセットテープは故障したのではなく、

おそらく別の私がまきもどしボタンをとめているのです。

なぜなら、考えたくないからです。

過去の自分が考えていることを思い出せば、また今の私も考えてしまう、考えたくない私は、その巻き戻しボタンをとめているのだと思います。

 

1年目は勉強ということで考えなくてよい(=創造性のない)仕事が多かったので、働くことは考えなくてよいことだと思っているだけかもしれませんが、欲しがれば創造的な仕事ももらえるはずですが自分はそう行動していませんので、やはり考えることを避けています。また、仕事のレイヤーで創造的なことと、もっと日常において、人間生活において考えることは、また別のレイヤーな気もするのです。(あくまで仕事は「学校社会」の中で創造している、といった感じです。)

 

考えたくない私に対抗するように、考えたい私が最近でてきています。

先ほど述べたトラウマ的なものも完全に忘れられているかというとNOです。関連のものをみれば思い出しますし、久しぶりに思い出すというのは、かえって、どんなに忘れても結局は逃れられないのだという絶望がさらに大きいものです。

 

これからも爆速に記憶を忘れていきそうなので、カセットテープが本当に故障しないように、どこかに文章だけは残していきたいと思っています。

 

釧路旅行記

飛行機の隣にカップルが座った。

どこいったことあるの、と聞く女に気にせずに好きなとこいっていいよと返す男。どうやら男の方は何回も北海道に行ったことがあるらしい。カップルかと思ったが、カップルにしてはやりとりに距離を感じる。年代は30代前後。女性の瞼の上に茶色いアイシャドウが黄色い肌と境目をはっきりさせながらギラついている。男は短髪で黒い細ぶちメガネをかけている。

ついたらもう15時だし、なにしようか、と観光雑誌を広げながら聞く女に、「15時ならあっちはもう真っ暗だよ」という男。え、そうなの、と(笑)が「かっこわら」と聞こえてきそうなテンションで返す女。ほんまかいな、うそやろと突っ込んでほしい。

飛行機の雑誌に北海道のシーシャが特集されていて、シーシャいったことある?と聞く女。北海道ではないなーと返す男。え、北海道以外ではあるの(笑)?という女のつっこみに、何も返さない男。あ、この男、しったかぶりしてると気が付いたとたんやけにその標準語が耳に障る。なんやそれ、じゃあどこで吸ってんくらい返してほしかったが、女の方が彼に入り込もうとしていて好感がまだもてる。でも、飛行機の離陸前のエンジン音で周りの音が遮断される中、それ以上つっこもうとしない隣の女の最後の「の?」まで粒だってはっきり発音される標準語だけがやけに頭に入ってくる。

釧路に着いた。時刻は15時。明るかった。

なんやかんや飛行機の男の一言に不安になっていたけれど、まだ明るかったので、阿寒国際タンチョウセンターへとバスで向かう。そのバス停には16時頃到着し、私のほかに二人、一人は地元のおじさん、もう一人は阿寒湖温泉に向かう途中で途中下車した私と同じ年くらいの女の子が下りた。阿寒湖温泉行の次のバスは18時だけれど大丈夫だろうかと思っていたら女の子は釧路行きのバスに乗った。行き当たりばったりの一人旅だろうか。阿寒湖行のバスチケットは2100円くらいするからもったいないけど、ちょっとかっこいい。センターには遅すぎてタンチョウはもういなかった。

ホテル、東横インについた。地元で夜の高速の外側を後部座席から眺めていたときに見たことがあるようなホテルの看板がすぐにみえた。部屋は普通。引き出しにはアダルトビデオの広告が。どうやらこの部屋で見られるらしい。ビジネスホテルにはそんな需要もあるのか、てことはこの部屋で誰かが、と思いながらどんなものが人気なんだろうと色んなタイトルを眺めた。それから横の本棚に目をやると、精神関係の本が多かった。新聞記者の内観体験記を読み、7日間施設に隔離されて、家族などの身近な人にしてもらったことや迷惑をかけたことなどを思い出す内観というものに興味を持った。新聞記者の「前は声だけがうるさい奴だったが、今はどんとかまえて、心に芯のようなものができ、穏やかになった」という言葉が気になった。そのようになりたいといつも思っているから。どうやら内観は東横インでは研修で行うらしい。インターネットで調べると学生は7日間食事付きで4万円だった。気になったが、7日間と4万円を犠牲にして何も得られないリスクを考えてやめた。大学4年の3月は貴重だ。きっとこんな考えだからどっしりと生きられないんだろう。

晩御飯を食べようと外に出た。釧路の街並みは思ったより栄えていると思ったが、よくみると空き店舗だったり、看板はあるけれどもう何年もほったらかされて風化した店舗も多かった。人気のまったくない凍える夜の街に、昭和のラジオのような音声の街頭放送だけが怪しげに響いている。「行政書士に、なりませんか?行政書士は、様々な文書を作成する仕事です・・・」「北方四島は日本の領土です・・・千島連盟!」「街頭放送で広告を流しませんか?イメージ戦略なら・・・」誰にも聞かれない街頭放送が現在進行形で朽ちているビルに吸収されていく。晩御飯は地元の定食屋で食べた。チャーシュー麵(650円)と梅おにぎり(150円)。梅おにぎりがやたらしょっぱかった。

次の日はバスで鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリへいった。バスには4人ほど。途中で私一人になった。するともう二人のってきた。大きなリュックを抱えた男は傘をさしていなかったようで、全身雪まみれである。きっとこのひともタンチョウを見に来たんだな、と思うとそうだった。バスを降りると、「コェー」とタンチョウの声が聞こえた。胸をときめかせながら、大雪のなか、15分ほど西へ歩いた。歩道を歩くと膝まで雪の中に入ってしまった。たくさん車が止まっていた。人も結構いた。タンチョウはもっといた。まずは双眼鏡をのぞく。するとまた「コェー」と聞こえ、聞こえた方角を向くと、二匹のタンチョウが長い首をくねらせ、くちばしを天に向けて鳴きあっている。雪が降りしきる中響く切ないその声に涙がじんわりうかぶ。いそいでカメラを取り出し、無我夢中でシャッターをおす。ひとしきり撮りおわったら、また双眼鏡で声のする方をひたすら追う。鳴きあいがおさまったところで双眼鏡をおろすと、タンチョウがやたら多い景色がなんだか奇妙に感じる。体が雪まみれになってきたのでネイチャーセンターへ入った。おじさんが30分くらい休みなしでタンチョウについて、その保護について話を聞かせてくれた。

帰り、大雪でバスががたがた揺れる中、夢の杜団地というバス停に着いたところで雪で立ち往生してしまった。運転手がバックとアクセルを繰り返しても動かない。車内には摩擦で何かが燃えたのか、焦げたようなにおいが漂う。乗客は3人。何台もの車がバスを横目に見ながら通り過ぎていく。そうしているうちに、一台の釧路ナンバーがとまり、2-30代くらいの男性が運転手の方へ近寄り、一緒にバスの周りを歩いている。そして何やら電話している。するともう一人、除雪車がとまり、屈強そうな男性がおりてくる。男性が呼んだのか、牽引車が到着し、けん引してもらう中、二人の男性が交通整備をしてくれていた。雪の山から抜け出し、バスが動きはじめた。お礼をしようと少し立って窓の外の男性に会釈をしようとするが、こちらをちらりともみず、バスの前後を気にしてくれている。かっこよかった。

途中釧路湿原展望台で20代くらいの男が乗車してきた。あ、と思ったら昨日阿寒国際タンチョウセンターとその隣の道の駅の間にあるバス停にもいて一緒にバスに乗った男だった。マスクはしておらず、ネックウォーマーで口を隠し、iPadをやたら触っていたが、今日も同じだった。何者か。

ホテルに帰りテレビをつけると、どうやら天気が荒れるらしい。「低気圧」「吹きだまり」「大しけ」など普段あまり耳にしない天気用語が聞こえてくる。明日は釧網線にのって摩周湖へいき、川湯温泉にとまり、その次の日に網走まで行って女満別空港から成田に帰る予定だったけれども、予定変更になりそうだ。北海道ご当地コンビニセイコーマートで夕食を準備し、やたらおいしい北海道牛乳とヨーグルトをたくさん購入し、セブンイレブンにもよってみると、ほとんどまったくご当地商品がなく狂気すら感じてそそくさと出てホテルに帰った。JR北海道は全線の運休が決定していた。太川陽介なみにホテルの部屋で路線バスの時刻表とにらめっこしていたら、疲れて寝てしまっていた。

浅い睡眠を繰り返し6時ごろやっとベッドから起きてスマートフォンを確認すると、路線バスや都市間バスも運休になっていた。今日も釧路にとどまることになった。旅行で地方に来ると、いつもなぜここの人々はここに住んでいるのか、ここに何があるのかと失礼なことを考えてしまうが、それは釧路も例外ではなかった。人がいれば、需要ができ、店ができ、雇用ができる。でもそれは、いってしまえば場所はどこでもいい。そう思いながら釧路のWikipediaを読む。釧路の人口は17万人。道東の政治都市らしい。炭鉱ができたり、製紙場ができたりした歴史を読む。釧路港にMOOなる商業施設を建てるもバブル崩壊とともにテナントが撤退していった経緯も読む。釧路市も過疎化しているらしいと読む。Wikipediaを読んだ後街にでると、なんだか街全体が、仕事を引退して生きがいも友人もなくしたけれどプライドは高く、カフェで若い店員に威張りながら4人席を1人で長時間独占する初老みたいにみえてくる。多分コロナの前はもっと活気があったんだと思う。Wikipediaにのっていた観光地であるという幣舞橋に出かける。お天気カメラの設置場所でもあるらしい。いってみるとライフファーストの鳥に4種も出会えてラッキーだった。MOOは地元のおじさんらしき人が何人か出入りしていたが、閑散としていた。

ホテルに帰ると、スマートフォンが全く充電されていなかった。後で調べたら気温が低いとリチウムイオン電池は充電されない、または充電が遅くなるらしい。靴が壊れたので駅南のビジホ街から抜け出して、駅北側の街へ出かける必要があった。ホテル一階のパソコンでバスの時刻を調べ、紙にペンでメモする。スマホは使えないけれど、きっと大丈夫、と思ってバス停に出かけバスに乗ったら歩いて5分の釧路駅につれていかれ、終点だったので降りた。乗り間違えた。ホテルに歩いて戻り、もう一度ロビーのパソコンで調べて、今度こそと出る。強風で看板か何かにつかまっていないと立ち止まっていられない。足元は雪が固まってスケートリンクのようになっている。スマホも時計もないので、時間も分からないと思っていると、バスが来た。でもなんだか違う。とりあえず見逃す。すると次々バスが来る。中学生の頃、2回ほどバスを乗り間違えて心細い思いをしたことがあるので、ホテルに戻り、もう一度念入りに調べる。大楽毛線という線を、何と読むか分からないけれど字の並びで覚え、バスに乗り込む。無事靴屋に着き、靴を買えた。帰りのバスでは、制服にポニーテールの女子校生が寝ていた。バスの停車ボタンを見ながら、このボタンができる前は、止まってくださいと口でいっていたのかな、など考える。ボタンができて、スマホができて、何でも自分で調べてできるようになって、ケアしあうことがなくなって、人との交流が減ってしまったんだ、などと考えていたらホテルについた。

テレビをつけると、テレビでは放送と同時に警報情報が写っている。明日無事帰れるだろうか、と思っていると、現在の釧路の様子です、と幣舞橋からの映像が映されていた。JR北海道は明日も全面運休だ。

北見へ向かうバスは運航するらしい。北見から女満別にバスが出ているので、これで帰られるとほっとする。バスに乗ると、後ろで中年の夫婦らしき男女が流氷船の運航情報について話している。北見から女満別へ向かう途中、何度かホワイトアウトのように視界がかなり悪くなった。絶望的な天気の中、飛行機で隣に座ったカップルは、今頃何をしているだろうか、と思った。

地方から東京に戻ると、電車に乗る人々をみながらまた、この人たちはなんでここにいるんだろうか、とまた考えてしまう。表参道から乗り込むぎらついたスーツの男性を見ながら、どんだけ稼いでも、お金のかかる娯楽と子育てにお金も体力も消費して、年を取るのが関の山と他人の幸せを勝手に勘定しながら、完全に他人事気分で自らを省みない私。東京は、地元に何かを見つけられず、何かを探してきた人が、気が付けばそのまま居ついているのだろうなどと考えながら、さんざんなことを思った釧路を恋しく思った。

テレビは一人で見るものじゃない

 

今日シーシャ屋に友人と言ったら

 

大きな大画面でオリンピックのサッカーの日本vsニュージーランド戦がやってました。

 

オリンピックがやっていたことは知っていても、試合は一つも見たことがなく、結果も気にしたことがありませんでした。

 

東京で独り暮らしをしはじめてから初めてのオリンピック。

 

大画面のテレビもない。

テレビを見ていてもひとり。

 

そんなthe 単身大学生世帯だからか、オリンピックに興味は沸かず。

それでもtwitterで勝敗関連のニュースを見かけると

まるで社会から隔離されているような気分になっていました。

 

そんな私でも今日シーシャ屋の大画面で友人や店員さんほかの組と一緒にオリンピックを見ていると、応援も熱くなり、日本が勝ったので準決勝、決勝も絶対見たいと思いました。

 

思い返せば実家にいた時は結構熱くなってオリンピックを見てましたし

ワールドカップも観戦してました。

 

それが一人になるとめっぽう見なくなりました。

やっぱり、テレビは「誰かと一緒に見る番組」が自分の中では多いな、と。

 

ほかだと例えば歌謡番組。

 

ある晩、特番の歌謡番組を見ていたら、唐突に実家の景色がよみがえり

 

(わたしは5年後10年後もこうしてワンルームの部屋で一人で小さいテレビで歌謡番組を見続けているのだろうか・・・)

 

と孤独と不安で心臓が痛くなってきて、歌を楽しむはずの歌謡番組で、むなしい気持ちに襲われ泣いてしまいました。

 

スポーツにしろ、歌謡番組にしろ、やっぱり私の中では誰かと観るもので

独りで見るのは空しいし、見る気にもならないみたいです。

喜びも感想も何も人と共有できませんからね。

シュートして惜しくもゴールから外れたボールを見て

ああー!!と叫んだ声は部屋の壁に吸収されて消えていく・・・

やっぱり空しいです。

共有したがるのは人間のどういう特性なんでしょうか。

 

話はそれましたが、そういった虚無感や虚しさは

Youtubeや配信番組ではあまり感じることはありません(見た後に経過時間を見て空しくなることはありますが・・・)。

 

それは、それらが”一人で見るのにちょうどいい”ことや
誰かと一緒に見た記憶と紐づけられておらずその比較から来る空しさを感じないことが理由だと思います。

この辺は学問だと社会学で論じられるんでしょうね。ゴフマンやモーリス・アルバックスあたり?なんか聞いたことあります。

 

それで、見ているときに空しくもならず、”一人で見るのにちょうどいい”Youtubeなどをみる。

 

さらにYoutubeにはコメント欄、配信映画にはレビューといったように、その動画に関して抱いた感情や感想をすぐさま共有できます。Youtubeだとコメント欄で投稿者にいいねしてもらえたり、他の視聴者から返信さえ届きます。

だから一人で見ていて空しくなるテレビ番組より

Youtubeや配信動画を選ぶのかなあと。

 

配信動画はリアルタイムではないので、友人にいつでも勧められますし、話題になったときにすぐ1話から見られますし、感想をいつでも友人と話せます。

 

一方テレビ番組はリアルタイム性が強いので、後日友人と話そうと思ったらその友人がたまたまみていた可能性にかけるしかありません。(今はTVerや配信サイトでの後追い配信などはありますが・・・)とくにスポーツだとリアルタイムでないと結果が分かってしまうので、その場の高まりは一生共有できません。

 

若者のテレビ離れが進んだと耳にしますが

その理由には

その内容のおもしろさに関わらず

 

①単身世帯が増えた

②テレビ番組の多くは一人で見る文化にない(誰かと観る文化があるので一人で見ることに虚しさを感じる、リアルタイム性が強いが、一人で見るためその場で感想を共有できず、後日友人と感想を共有しようとしても、難しい)

③ちょうどいいYoutubeや配信動画が選ばれる(一人で見る文化があるので見ていて虚しさを感じない、コメント欄ですぐだれかと感想を共有できる、リアルタイム性がないのでいつでも友人と共有しあえる)

 

という点があるのではないかと・・・

 

 

サッカー観戦楽しかったなー

パブリックビューイングって何のためにあるんだろうって思ってたけど

今想像したら絶対楽しい!!笑

 

以上です!

 

 

 

世界の主役は男性?

昨日の夜Youtubeをだらだら見ていたら、とんでもない人を見つけました。

www.youtube.com

 

彼女です。Courtney Hadwinさんです。

彼女の歌声を聞いた瞬間、言語的な感想を置き去りにして、ただただ鳥肌が立ちました。それからこの曲を聴き終わるまで鳥肌が立ちっぱなしでした。ちなみに今でも聞くと鳥肌が立ちます。

 

それから涙が自然とあふれてきて、気が付けばわんわん泣いていました。

 

そこでやっと鳥肌と涙の理由について言語を使って考え始めました。

彼女の歌声、歌唱力、パフォーマンス自体が群を抜いて素晴らしいことは確かなのですが、それを言葉で説明する芸術知識が私には欠けています。ただ、彼女のパフォーマンスが言葉にならない鳥肌や涙の理由となっていることは明らかです。

 

今回は別の理由について考えてみます。考えたというより、泣きながら頭に浮かんだことです。

 

わたし、この世の主役はずっと男性だと思ってました。

たとえば彼女が歌うロックの主役、ロックンローラービートルズレッチリ、クイーン、オアシス・・・あげるときりがありませんが、男性が多いです。

ほかにも、サッカーや野球などメジャーなスポーツでは女性のそれより男性のそれのほうが圧倒的に人気で市場規模もでかいです。

さらに映画監督といった芸術分野でも圧倒的に著名な方は男性が多いです。アカデミー賞の監督賞でも女性がノミネートされたのは今年2021年が初めてでした。

日本でいえば、お笑い芸人も圧倒的に男性が多いです。それから番組で、ネクタイを締めてメインの司会をするのは男性です。さらに民意を反映し国を動かす国会議員も衆参あわせて85%は男性です。国民的バトル漫画の主人公も男の子です。フェスに出場するバンドも男性が多いです。日常の範囲でも、大学の教授や、地域の病院の先生など、彼らは男性が多いです。これらの場面で、女性は補佐的な役割を担っています。

 

それぞれが担っている役割に良し悪しや優劣があるということではありません。たとえば男性が多い医者も、女性が多い看護師も、男性が多いメイン司会者も、補佐的な女性キャスターも、それぞれ欠けてはならない大切な役割を担っています。

とはいえ、明らかに性別による差が大きすぎると思うのです。

 

わたしはこれは、男性のほうがそういった場面で活躍する才能に恵まれているからだとどこかで思っていました。

 

だから、悲しかったんです。父親が居間で流す伝説のロックンローラーのコンサートビデオを見ながら、大ヒット映画のインタビューを受ける監督を見ながら、ノーベル賞を受賞する科学者のインタビューを見ながら、ネクタイを締めたメイン司会者の番組を見ながら、バトル漫画をよみながら、フェスで音楽を楽しみながら、大学で授業を受けながら、この世の主役は男性、私たち女性は脇役なんだと、ずっと思い込んでいました。

女になんか生まれなきゃよかった。男に生まれたかった、と思っていました。

 

だから、わたしは彼女をみて泣いたのかもしれません。

私はロックに全く知識がありませんが、彼女は私の思い込みを破壊してくれました。

とはいえ、彼女に対して抱いた感想は、”女の子なのに”すごいといった感想ではなく、ただただすごいといったものです。性別どうこうなんて全く感じさせない彼女の歌声に私は感動していたんだと思います。


 

ふと思えば、数は少ないですが上にあげた男性が活躍することが多い場面で活躍する女性もいます。それでもやっぱり、男性女性という住み分けがあるような気はします。

だからそういったことを全く感じさせない彼女のパフォーマンスに心から感動しました。

 

男性がメインの役割を担うことが多いのは、生来の才能というではなく、長年女性が抑圧されてきた末にできた社会構造かもしれないと思えるようになりました。

 

わたしのこの論理には、いわゆる女性らしさから抜け出して、男性が現在活躍している場面で女性も遜色なく活躍できることが女性が世界のメインステージに上がる方法ということになるので、根本的な男女差の解決にはなってないという批判が考えられます。

ただ、現在ある女性らしさや男性らしさも社会的に構築されたものであることは忘れてはならないと思います。

だからこそ、男女が社会的な文脈にとらわれることなく自分が望んだものを表現し、自分が望む役割に就くことができる社会の実現に向けて自分ができることを考えたいです。

 

 

いつか彼女がコンサートを開催しに来日してくれることを待ち望んでいます。

 

自分で決めた選択は実はレールに乗っていた?

私、気が向いたらYouTubeでTEDトークを見ています。たまーに。

世界の著名な方の話を10分間程度で、しかも英語の復習もしつつ無料で見られるんです。インターネットって本当にありがたいです・・・。

 

それでこの間見たのは、Googleのソフトエンジニアとして働いていたMax Hawkinsという方のスピーチです。

www.youtube.com

 

ある人のこれまでの位置情報から、その人が次の日に行く場所を高い確率であてることができる、という論文を彼は読みます。

その日、彼は同僚と新しく開いたバーに行くんですけど、その論文を思い出して、AIに自分の意志で行くと決めた場所が予測されたかもしれないと思うと変な気がしてきます。

 

そこで彼は、アルゴリズムにランダムに行く場所を決めてもらうアプリを作ります。

彼が住んでいるサンフランシスコ内で、ランダムに場所を選んでもらい、Uberタクシーを呼んでもらい、彼は目的地を知らないままある場所に向かうのです。

 

最初彼が行きついた場所は緊急精神病棟でした・・・

彼は、同じようにアルゴリズムに任せて、カフェや美術館など、様々な場所を訪れます。

 

そんな感じで彼はさまざまなアプリ。ランダムな選択をするアプリを開発します。

1週間禁じる食べ物をランダムに選ぶアプリ、何をすればいいかランダムに印刷するアプリ、ランダムな曲リスト作成アプリ・・・

そして彼はFacebookの公開イベントをランダムに選んでもらうアプリも作ります。

かれは見知らぬJoeさんの誕生日パーティーに参加したり、どこかの学校の発表会に参加したりします。

 

フリーランスになった彼は、さらに住む国さえもアルゴリズムに任せます。

数週間ごとに彼はランダムに住む国を変えていきます。

そこで彼はサンフランシスコでしたように、アルゴリズムに任せてランダムな場所やイベントを訪れるのです。ムンバイではヨガにもチャレンジしました。

 

そのような生活を2年間して彼は、「自分で選択をしてないのに、むしろ自分で選択していた時よりも自由になったような感じがする」というのです。

アルゴリズムに選択を任せるようになって、そうでなければ行くことのなかった場所やイベントに彼は行くことになります。そして彼は新しい出会いをするのです。

人は普段、自分自身で選択を決めているようで、社会構造や歴史など、様々な文脈に実はとらわれていて、そのとらわれた中の数少ない選択肢から結局は選択をしているため、実はたくさんの選択肢を見落としている、と彼は言います。

 

AIの活用って、例えばweb広告みたいに、その人の趣向に合わせて新しいものを提案するイメージがあったんです。でも、こんな風に完全にランダムに新しいものを提案するアルゴリズムもあるんですね。

 

人生の選択については、アルゴリズムに任すことが現実的じゃないので、狭い選択の中から選ぼうと思います。選択が数多すぎても疲弊してしまうので、選択の幅が狭まっているのはありがたいのかもしれません。もちろんそれはある程度恵まれているから言えることですが。

 

ただ、休日とかに行く場所をランダムに決めて訪れる、みたいなことは私も実践してみたいです。

 

オンライン生活に不足しているものの一つはこのランダム性だと思います。外に行けば、ある空間にあるということだけで、ランダムな出会いがあります。たとえば、図書室にいれば、歩いていれば面白そうな題名の本が目に入ったり、教室にいれば、ひょんなことから知り合いができたりします。オンラインだとどうしても自分から手を伸ばさないと情報が得られません。

それでも、誰でもいつでも入ることができるzoomの部屋を作ったり、そういったランダム性をオンラインでも確保できるような取り組みもされています。それでも、zoomに入ることは自分で選択する必要があるのですが。オフラインだと、その場所にいることは生活の一部なので、そこにいていいのだろうかと思うことはないのですが。

そういった意味で、自分の選択ではなく、誰かからの強制によってどこかにいるということは、むしろ、わたしはここにいていいという安心感につながるのかもしれません。もちろんそのどこかが居心地の良い場所ということは必須の条件ですけれども。

大学生の生活 生活のなかの2つの心理

大学生の生活

 

朝4時までdアニメストアでアニメをみてそのまま気絶したように寝て14時くらいに起きる。それから気になっていた本をとって気が済むまで読む。おなかがすけば出前を取るし、すかなければ食べない。眠たくないのでまたアニメかYoutubeを気絶するまで見る。お風呂は外に行く用事がある時だけ入る。そんな自分を自己嫌悪するときもある。そんな生活。

 

朝7時におきて、朝ご飯を食べ、図書館に向かい、資格試験の勉強をする。しっかり昼食も夕食も取り、お風呂にも入り、24時には就寝する。そんな生活。

 

どっちの生活のほうがより良いかと聞かれれば、もちろん後者だと思います。

でも、こういったちゃんとした生活をしていると、どこか空虚な感じがしてたまらなくなる時があります。

だらだらして起きてるか起きていないかもわからないような、自分の好きな本だけ読んでいるような生活では決して感じないような、空虚な感じです。

考えなければならないことから目を背けて、とりあえず目の前にぶらさげる人参を探して、それを追いかけているだけなんじゃないか、というような感じです。

 

話は変わります。

小学生の頃、自転車乗り場で自転車に跨ごうとしたとき、楽しむことは悲しいことから目を背けることなんじゃないかなと思ったことを覚えています。

悲しい出来事は自分のうちにも、他人のうちにも、常に起こっているのに、そこから楽しいことに目を背けているんじゃないかなって。

負の感情を起こさせるような出来事にわざわざ向き合う義務は私にはないわけですが、

そのような出来事やその出来事が引き起こす感情と向き合うことはできるんでしょうか。

悲しいことはただ悲しく、いつまでも悲しんでいるとどんどん沼に落ちていきます。

だから、気持ちを切り替えるしかない。つまり結局は真摯に向き合えません。

もしかしたら、気持ちを切り替えず沼に落ちて行った先に絶景の洞窟があるかもしれませんが、そうなる前に私の中には気持ちを切り替えようとする力が働きます。

負の感情を起こさせるような出来事を解決して、それが引き起こす感情を消し去ったとしても同じこと。結局その感情それ自体とは向き合えない。

だから、人はドラマやアニメで自分には直接関係ない出来事でそのような感情を呼び起こし向き合ったふりをするのかもしれません。自分と直接かかわりがなければ、どんなに悲しんだって、いつか終わりは来ますから。

 

この、目を背けるしかないものと背けることで送られる健全な生活というのは、最初の話にに類比できると思うんです。ずっと目標を探し続けて路頭に迷うか、目標を決めてしまって突き進むか。

 

目標を決めなくても別にいいという答えもありますね。マリオを楽しんでいる人は誰もピーチ姫を救うことを考えてないと聞いたことがあります。その過程を楽しむことがある意味目的になっています。

 

 

もしかしたら、今書いているような内容は、「就職活動で病んでたなあ」と後で回想されるかもしれません。でも、「そういうこともあったなあ」とする方法でしかその思いが昇華されないってなんだかやり切れません。「若いころはとがってた、今は丸くなった」というような昼間の刑事ドラマで聞くような言葉も同じ。とがってたところにも本質はあるはずなんです。いつのまにか、目標や生きる意味を決めて(人によっては無意識的に、娯楽や贅沢、家族を目標にして)、とがりながら答えを探すことを諦めたようにも感じます。

 

生きる意味なんてないんですから、自分で作るしかない。それを決めてしまって健康的な生活を送るのがよいのも当たり前です。じゃあこの空虚な感じはどこから来るのでしょう。もっと絶対的な意味が欲しいから?ほかにもっと適切な意味が自分にはお似合いだと思っているから?

 

多分、今人(ここは特定のだれか、知り合いのこと)のために生きてないからなんですね。人のために生きたい。自分が発すること成すことを他人のうちで表象されたい。私にとっての他人の中だけなら、私たち無限にどこにでもいける。だって他人の心の中を完全に把握することはできないから。私にとっての他人の中で、私たちの人生の意味はどこまでだって広がることができる。

 

それかこの空虚さは、とりあえず決めた目標が短絡的なことからくるかもしれません。

 

抑うつリアリズムという現象があります。これは少しうつ状態の人のほうが、現実を正確にとらえられているという学説です。うつ状態がひどくなると現実をネガティブにとらえすぎてしまうのですが。うつでない人は、現実をよりポジティブにとらえているそうです。でもとらえたところにしか現実はないのですから、現実をポジティブにとらえるほうが幸せで、人生がうまくいきそうです。でも私はすこし鬱状態になっている自分のほうが、そのときの自分の世界の見方が、好きです。

前までの私はstay positiveをモットーにしていましたが、最近はstay neutralをモットーにしています。

でもstay positiveをモットーにしているときに、「そのままの世界の見方でいてね」と友人に言われたことを思い出しました。ごめんなさい。友人。でもあの頃はポジティブやネガティブといった風ではなく、現実的に生きられていたような気もします。

 

働く意味や生きる意味を考えていつまでももやもやしていたら、生きていくことがとても難しくなります。今は養ってもらっているのでこのような甘えたことを言えるけれども、自立したら働くしかない。だから、ある程度妥協するしかないのかもしれません。

それでも、つねに本質に目を向けていたいものです。

みなさんはどうやってこれらの疑問やもやもやを乗り越えていますか。

 

そういう意味では、芸術家や研究者といった職業は、両方を同時に達成できているようで、憧れます。

効率的に稼いで自分が本当に向き合いたいことに向き合う時間を作るという方法もありますね。

 

このようなもやもやをどうにかするには、哲学の本を読むと、いいのかもしれません...

コロナ禍・大学3年生の春休み 就活の動機

週1回のアルバイト以外はほとんど家にいて、買い物以外で外に出ることはありません。一人暮らしということもありほとんどの時間を東京の狭い1Kで一人で過ごしています。

 

春休みなので、授業もなく、オンラインですら誰とも連絡をとらない毎日です。もともと友達が多いほうでも、ラインでやりとりを多くするほうでもなかったので、人とのコミュニケーションがめっぽうなくなってしまいました。

 

緊急事態宣言が出ていなかったら、もう少し友人らと出かけていたとは思うのですが・・・1年の春休みは実家で通院、2年の春休みはアルバイトと旅行という感じでした。3年の春休みは就活をする時期だと思うのですが、いかんせん誰にも会わない毎日だと、なかなか腰があがりません。みなさんはどうやってモチベーションを保っているのでしょうか。

 

モチベーションがないから就活が進まないという点で考えてみますと

なにしろ何かしら行動するには動機が必要だと思うので・・・

①もう1年だぶってもいいだろうという余裕から切羽詰まっていないためモチベがない

②人と会うことがないためか、自身の身分や状況を理解できていない

③ほんとうは自身の状況がひっ迫しているのにそれに気が付くのが怖くて目をそらし続けている

の3つが就活に本腰を入れられない理由に考えられます。

 

①「もう1年だぶってもいいだろうという余裕から切羽詰まっていないためモチベがない」に関してはだぶるくらいなら院に行きたいので、選択肢としては排除します。つまりストレート卒業で就職か、院進になります。ただこの点で懸念するのは、卒業と就活と院進を同時並行で行うため、最高の出来を最も必要としない卒論において手を抜いてしまおうと考えられうることです。わたしがわざわざ卒論を書く必要のある人文学系に進学した目的の一つに

・自分が満足のいく内容を自分の言葉で表現し伝える

というものがありました。卒論がおろそかになってしまえば、私の大学生活に悔いが残るといいますか、達成感をもって、自信をもって卒業することができないと思うんです。これはいままでさんざん怠け続けてきた自分を振り返ると、その時間を使えばこの3つを同時に達成することは容易ですし、事実できている人も多いと思います。なので完全に自業自得なんですが、わたしはいつも気が付くのが遅いです。

 

②「人と会うことがないためか、自身の身分や状況を理解できていない」に関しましては

たとえば友達と会うことがないため、先生と会うことがないため、自分が大学生という身分を持っていることを忘れてしまうんです。大学生たるもの、学ぶべきものですが、それさえも忘れてしまいます。授業を受けていても、わたしはなぜ今授業を受けているんだろう、とはっと考えてしまうのです。

さらに家族とも会わないため、わたしは養われているんだということも忘れてしまいます。そのため、自立する必要性があるのにもかかわらず、養われている対価を示さなければいけないのにもかかわらず甘えてしまっています。

とにかく、全然人に会わないためか、自分が誰で、何をすればいいのか、わからなくなってくるんです。何をすればいいかわからないというのは、誰かに何かを要求されているという感覚や、義務を負っているという感覚が欠如しているからです。

応答しようにも呼びかけを感じないし、呼びかけても応答は来ません。

もちろんパソコンやスマホ画面上ではありますが、正直画面上だとニュースで読まれる第三者の世界と何も変わらないんです。授業中、自分が話していないときに、寝ていても、泣いていても、歌っていても、画面の中の先生は変わらずしゃべり続けるんです。

そして、そのように生きていると、毎日ただ自分のために生きているような感覚になります。

自分のために食べる。

自分のために起きる。

自分のために授業に出る。

自分のために勉強する。

自分のために就活対策をする。

自分のためにシャワーを浴びる。

また明日自分のために生きるために

今日自分のために寝る。

自分のためだけに生きられる人もいると思います。趣味に熱中したり、などなど。ただ、正直言って、わたしには向いていません。わたしは人からの評価が自分の行動の大きな動機になってきたのだと確認しました。生きる理由となる自分の存在価値すら他人によって出来上がるものであるのなら、他人のいない世界の自分にどのような価値があって、そのために生きればよいのでしょうか。

というわけでわたしは自分が生きる理由や行動する理由をずっと探していたのですが、とりあえず理由がなくても動いてみようと思うんです。心臓は理由がなくても動いてるんですよね。それでも理由はずっと考えていたいですね。

 

③「ほんとうは自身の状況がひっ迫しているのにそれに気が付くのが怖くて目をそらし続けている」に関しましては

それによって現実から目をそむけたくなるたびに、ハンターハンター34巻・クラピカの「『知ること』で生き残る確率は大幅に上がります」・「『わからない』よりも 『出来るかもしれない』方が生死を分ける状況判断で結果に著しい成果をもたらすのです」というセリフを思い出して自分自身を鼓舞しています。

このセリフを着て、死ぬと覚悟していた王妃は生き残る望みがあると感じ動揺し震えてしまいました。私自身も、だめだと覚悟して何も手を付けなければ精神的に安定する(≒停滞する)かもしれませんが、少しでも望みがあれば対策をするべきですね。

 

 

 

一人暮らしで巣ごもりだと精神的に悪い気がして、(親は転勤で同じ東京にいるので)同居したいとふんわり親に伝えてみたら、一人だと身につくこともきっとあるよ!とふんわり却下されました。

 

一人暮らしをやめられるかもという希望がなくなり、もうここで生きるしかないんだと覚悟は決まったので(なので結果オーライ?)、もう頑張るしかありません。

 

同居人募集中デス あれ?